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湯たんぽはやっぱりファシーがいい!!

80歳、現役冒険家 三浦雄一郎氏。
fashyの湯たんぽは、ベースキャンプでも日常生活でも彼をいつも温めつづけてまいります。

三浦雄一郎×fashy 三浦雄一郎氏が愛用をしている、ファシー・ラジエーターボトルはこちら

前略 雄一郎様

エベレスト登頂おめでとうございます。

80歳という前人未到の世界記録を打ち立てたその姿に日本人として誇りに思います。全てのスタツフを無事帰還させた英断も勇気のいる決断だったと思います。夢をあきらめずに生きていくその姿に世界中の人々が感動を覚えたことでしょう。

キャンプ地で地味ながらも当社の湯たんぽが、いつも三浦さんの身体を温めていたことも、少しは今回の記録に貢献できたでしょうか?

帰国後落ち着きましたら、またお会いしましょう。

敬具

株式会社三信商会 代表 谷澤 昇

遠征ニュース

5月28日

三浦雄一郎、豪太そして大城Drの3名は5月26日、6500メートルのエベレスト第2キャンプ(C2)より、ヘリコプターでネパールの首都のカトマンズまで無事戻ってまいりました。
そして27日、ベースキャンプから上の全てのキャンプの撤収作業が終わり、これにてエベレスト山での登山活動が終了いたしました。
三浦雄一郎、豪太、大城DRの3名は明日、カトマンズを出発し、29日に日本へ帰国となります。また、その他の日本人隊員は明日にはベースキャンプの撤収作業を終え、シャンボチェまで下り、そこからヘリコプターにてカトマンズへ移動、帰国は6月6日前後になる予定です。まだ全員が日本に帰国するまでは時間がありますが、みな元気で怪我もなくベースキャンプへ戻れましたことを、まずここにご報告申し上げます。
三浦雄一郎と豪太は29日に帰国後、記者会見を行う予定です。

下記、三浦雄一郎の下山時の模様をお伝えいたします
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三浦雄一郎は死闘を尽くしてエベレスト登頂を果たし、極度の疲労でフラフラになりながらC4そして標高6500メートルのC2まで自力で下山いたしました。
登頂後、下山開始まもなく脱水症状になり、実際動けなくなりましたが、C5で少し休み、水分と少量の食べ物をとり、ようやく身体を動かしゆっくりと8千メートルのC4まで下りました。どんなときでも決して弱気をはかない強靭な父もさすがにバテバテで、豪太が「こんなに疲れたお父さんははじめてみた」と衛星電話で伝えたほど。どうぞ生き延びてほしい…この状態で8千メートルの夜を過ごすことが出来るのか、朝にはどうなるのだろうか…と案じてた3分後、再び豪太から電話が入り父に代わるとのこと。しゃべる元気があるのだろうか…声はさすがに元気とは言えませんでしたが「日本のみんなは登頂をどう思っている?」との質問、あっ、それだけ関心があるということが大丈夫だ!父に「みんなみんな前回の何十倍も喜んで日本中がお父さんの快挙を喜んでいるよ」と伝えると、「そうか、応援してくれたみなさんに本当にありがとうと言っておいてくれ」声は小さかったですが、とても嬉しそうでありました。あーなんたるサービス精神旺盛、人を喜ばせることがこんなに嬉しく、一生懸命な人なのであろう。一番心配した不整脈の再発や高所障害はなく豪太に聞くと血圧や脈波は問題なし、ともかく力の限りをつくした末の極度の疲労でありました。その後、豪太から「お父さんは横で身動きもせずに寝入っている。人間も動物、疲れをとるのは寝ることなんだ」としごく原始的な見解。

翌朝、気をもんではいましたが豪太から「お父さんは元気になりました。ずいぶんと回復が早く、食欲もある、様子をみながら降りていきます」。そして大事をとり、平均斜度50度近い、厳しいローツエフェイスを、父に言わせると通常の120%慎重に時間をかけながら下降する。疲労も脱水症状も残る80歳の肉体を考慮してのとこと。まだ着かないのか…とやきもきする私たちの問いかけにC2で目視しているメンバーからの無線は「ゆっくりだけと、確実にステップを踏んでいます」との繰り返し、さらに下山途中に三浦は「ついたら参鶏湯が食べたいから準備して」とまでキャンプへ指示を出していた。予定の時間のほぼ倍、13時間をかけてようやくC2に到着、現地は深夜12時、日本は午前3時。到着直後、日本で待つ私たちへ父からの電話は「ものすごく疲れた、まるでフラフラの歩く幽霊のようだったよ」…この言葉で逆にほっとした。それは自らを「フラフラの幽霊」ということと傍からみての「フラフラの幽霊のよう」は全く違う。こんな言葉で自分をユーモラスに客観視できるだけの余裕があるということ、どんなに肉体的、精神的に辛いなかでも愉しむことを忘れない。そして連絡が入るまで固唾をのんで何時間も電話の前でテレビ局や新聞社のみなさんが
待っていたことを知ると「みなさん、あー申し訳ない、本当に遅くまでご苦労さまです」と労う、皆の緊張が解ける…これが三浦雄一郎なのです。

翌朝、C2からベースキャンプへの移動。朝、三浦の体調はすこぶる回復、長丁場のデスゾーンからようやく6000メートル台の標高に降りて、食欲も旺盛でこの48時間の状況からかなり良くなっていた。しかしここからベースキャンプへ戻るには標高は低くともエベレスト登山史上最も事故の多いアイスフォールを通過しなくてはならない。春を迎えたエベレストの気温は上昇し、氷を溶かし、ただでさえ不安定な巨大な氷塊が崩れ、いつ崩壊がおきるかわからない。1970年、三浦のエベレスト大滑降のとき、このアイスフォールの崩壊で6名のシェルパたちが尊き命を落として犠牲となっている。自分が死ぬより辛いことであったそうだ。C2で大城ドクターは父の体力はアイスフォールを通過するのに問題ないと診断された。ただ、今の状態だと前日ほどではなくとも、その歩みはゆっくりと時間をかけたものとなり、アイスフォール通過にはかなり時間を要するであろう。普通のルートであればゆっくりと夜中まで時間をかけて歩いていけばいい、しかしアイスフォールに時間をかけるということはそれだけ崩壊に巻き込まれるリスクを増やすことになる。自分だけならいいが、サポートしているメンバーたちを危険に曝すことになるのだ。モンスーンシーズンも近づき、時間が経つほどにアイスフォールはさらに危険になる。全員無事で生きて還ること、それが隊長たる自分が守り抜くべき道。父はここからヘリコプターで下山することを決めました。

ベースキャンプを起点として、「登山とは出発点から山頂へ登り、出発点まで自力で戻ること」を登山の定義とし、三浦雄一郎のC2からのヘリコプター使用に一部、ネットの書き込みなどに批判がありましたが、正直、私にとってどうでもいいことだと感じてます。それが彼らなりの登山の定義なのでしょう。
三浦雄一郎は命を懸けて、自分の限界を超えて、80歳という年齢の壁を越え、諦めずに力の限り世界最高峰の山頂を目指した。そして己の目標であった夢の頂きを極めたとき、次なる目標を生きて還ることとし…メンバー全員、一人として怪我もせずに無事に帰ってきてくれました。
全身全霊をかけて山頂へ向かって刻む一歩ずつ、その姿こそ、かけがえのない「希望の軌跡」と勇気をしらしめてくれたことではないかと信じております。
人類は常に挑戦し続けるもの。記録にこだわるわけではないけれど、この思いを記憶に刻むために正しき「記録」として残しておきたく存じます。

帰国後、改めて三浦雄一郎本人より御礼のご挨拶とご報告があるかと存じますが、
まずは東京事務局より、今回のプロジェクトをご支援いただき、常に温かいエールをお送り下さったこと、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

ミウラ・ドルフィンズ
三浦恵美里

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

ご声援ありがとうございます。登頂いたしました。

ご支援いただきました皆様へ

ありがとうございます。
三浦雄一郎は体力の限界を魂の力で補い、そしてエベレストの山頂へ立つことができました。
下山途中何度も崩れ落ち、疲労困憊して、8千メートルを超す高所で薄い空気に喘ぎ、ほぼ17時間動き続けていました。
山頂へ向けての強い想いとワクワクする好奇心、そして多くのみなさまからのご声援を追い風として、三浦雄一郎は山頂への一歩づつを刻むことができたのだと感じました。身体を越えた何かが。

今は精根全てを使い切り、8千メートルの第4キャンプのテントにて鋭気を取り戻すべく、昏々と深い眠りについています。
明日、再び新たなチャレンジが続きます。登頂は輝かしい通過点ではありますが、応援していただいた皆様へ元気な姿で戻ってくることが、最大のご恩返しであると信じております。
3時間前に豪太が今日の最後の力を振り絞り、衛星で送ってくれました山頂の写真を添付いたします。
すでにメディアを通じて登頂の模様が届いたと存じますが、後日、改めて内容をまとめまして、ご報告申し上げます。

C4に到着した三浦は、ほとんど声も出ないような状態でしたが、衛星携帯電話を通じて、応援していただいた皆様に、心からの感謝を申し伝えるよう、託されました。
まずはメールにて、みなさまの温かなご声援に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

三浦恵美里


5月23日

日本時間 5月23日(木曜日)12時15分、登山隊、全員登頂です!

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

5月19日

5月16日(木曜日)、エベレスト山頂へ向けての登山(アタック)をスタートした三浦雄一郎と登山隊メンバーは、16日、最初の難関であります氷河が崩壊したアイスフォール(氷瀑)を8時間半かけて無事クリアし、標高6050メートルのキャンプ1(C1)にステイ。翌17日(金曜日)、標高6500メートルのキャンプ2(C2)へ到着。
当初の予定では体力回復と高度順応を兼ねてC2に3泊の予定でしたが、登頂を予定していた24日より23日の方が天候条件が良いという見解で、登頂予定日を1日早めた23日(木曜日)とし、19日(日曜日)にキャンプ3(C3)へ入りました。
三浦雄一郎のアタック前の高度順化は標高6000メートルまでで、C2以降は今回の遠征で初の高度となる為、体力温存と身体に余分な負荷をかけないように行動中、一部効率良く補助酸素を吸引するなどして調整をしております。
非常に体調がよく、むしろ過去2回(70歳&75歳)のときよりもいいペースで登山を続けています、上部基地となるC2にはダイニングテントとコックも在中しており、食事も美味しく、食欲がかえってベースキャンプのときよりあるとのことです。
標高7000メートルのキャンプ3(C3)への登攀はローツェフェイスという、平均斜度45度の急な氷の壁をロープをつたい直登で約4時間、先を登る人の足の裏を眺めながらでした。
途中、何名かの若手クライマーを抜かすほどの好ペースで午後2時にはC3着。

三浦雄一郎 コメント
「非常に調子良く標高7千メートルまで登ることができました。C3のテントでは酸素なしでも高山病的な症状もなく、疲れもそれほどではありませ ん。ここは斜度50度ぐらいの雪の斜面を切って作られた鳥の巣のようなキャンプ。ここに一泊し、明日はサウスコルへ行く途中に設置したC3ダッシュ(7500メートル)へ向かいます。その後C4,C5を経て23日に山頂を目指します。」

また豪太と他隊員の体調も上々です。特に豪太は前回(2008年)でのC3と比べると、無理をしなかった分100倍ぐらい体調がいい(本人の言葉)そうです。

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

5月16日

本日(16日)現地時間午前5時15分(日本時間8:30)にベースキャンプを出発、エベレスト山頂へ向けてアタック体制にはいりました。
アタック隊メンバーは三浦雄一郎、豪太、倉岡、平出の4名、そして前線ベースキャンプとなるキャンプ2(6400メートルまで)サポートとして大城和恵ドクター、三戸呂隊員が入り、7名のシェルパが同行いたしました。

三浦雄一郎 コメント[BCスタート前(現地4時半)]
「いまだかつてないくらいとても元気です。標高6千メートルまでは酸素なしで大丈夫な順化が終わってます。この先も、今回はキャンプ数を増やしてあるので、キャンプの間が短く、順当にいけると期待しています。今の体調はまるで東京や札幌にいるのと同じくらい、走りまわることもできる。天気は予報よりよく、日も長くなり、今年のエベレストは今まで来たなかで一番、おとなしく天気が安定しています。最終のアタックでは南峰から山頂へ向けて早朝の登頂を目指します。今いる、ベースキャンプ地点では暖かく素手でも大丈夫なくらい。まずはエベレスト登山の難所となるアイスフォールを条件のいいなかで、7時間ぐらいで登り、なるべく体力のダメージを最小限に抑えていきたい。がんばっていってきます。」

下記、他隊員の5日の出発前夜コメントです
三浦豪太
「今回のエベレスト登山は三浦雄一郎80歳のチャレンジである。これは人類史に残る挑戦となるだろう。僕はそのサポートとして精一杯のことをするつもりだが、それ以上のことをするつもりはない。自分にできることを全うすること。そのためには決して無理をしてはいけないということを前回学んだ。
明日、頂上への長い道のりの第一歩を踏み出す。日本のみんなの思い、チームの思いを背負いながら、父と一緒に同じ景色を眺め、世界の最高峰に立てるよう着実に足を踏みしめていきたい。」(5月15日、日記より)
倉岡登攀リーダー
「明日朝いよいよ出発となりました。もし明日出発できると24日登頂の予定です。イエーイ!がんばります。」
平出カメラマン
「三浦雄一郎先生がどのようにエベレストに対峙していくか、その模様をリアルに切り取って撮影していきたいと思っております。」
大城和恵ドクター
「雄一郎先生も隊員もシェルパも全員、非常に良く体調作りができました。これから頑張って出発したいと思っております。」

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

5月8日~10日

三浦雄一郎は再び標高5900メートルにあるプモリのC1にて3日間滞在、非常に体調はよく、6千メートルまでの順応は完全にできており、今回、ベースキャンプでも補助酸素を効果的に使い、体力温存と順化のバランスが上手くとれているとのことです。
現在、三浦雄一郎&豪太とアタック隊のメンバーは今後の天気予報をもとに5月15日、もしくは16日にベースキャンプ出発、山頂アタックに入る予定です。順当にいけばベースキャンプ出発後8日目に山頂を目指すことになります。

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

4月29日

乾布摩擦をする三浦雄一郎 豪太、倉岡、平出の山頂アタックチームとサポートメンバーの大城ドクター、三戸呂の5名は高所順化の為、4月29日~5月3日の5日間、アイスフォールを抜けて、エベレストの上部キャンプへ入り、C3(7000メートル)タッチをしてまいりました。
その間、三浦雄一郎はアタックへ向けての体力回復&温存のため、ベースキャンプにて補助酸素を使用して酸素濃度を3千メートル前後に下げた状態で休養しておりました。
今回、80歳の登頂に向けて、効率のよい高所順応を行い、同時に高所での体力衰退を避けるためにこのようなプログラムを考案いたしました。
豪太たちは三浦雄一郎をサポートする為の高所順化を完了、三浦雄一郎も補助酸素により体力回復&温存、そしてBC周辺でのトレーニングを行い、全員、体調は良く、山頂アタックに向けて準備が進んでおります。
ベースキャンプではためく支援隊フラッグ

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

4月27日

0時27分、東京にて豪太の第2子が誕生いたしました。
とても元気な女の子で、このニュースにベースキャンプは盛り上がりました。

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

4月23日

本日(23日)午後に三浦雄一郎をはじめ、チームメンバーが高度順化の為、エベレストベースキャンプ近くのプモリ(7161メートル)の第1キャンプ(5700メートル)に入りました。ここに2泊して、標高6千メートルの順化を行います。テントの周りにはクライミング練習をするいい岩場や氷斜面があるそうです。メンバー全員、元気にしております。

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

4月16日

本日(16日)三浦雄一郎をはじめとしたMIURA隊がエベレストベースキャンプ(EBC 標高5300メートル)に到着いたしました。
先発隊(貫田&三戸呂)が事前にキャンプの設営にあたっていたため、大変快適に入ることができ、またメンバー全員高度順応も順調で、元気にしております。
当初、4月10日~19日はポカルデにて高所順化&スキー滑降の予定でしたが、気象状況を考慮して、早めにベースキャンプに入り、高度順化をプモリのハイキャンプ(5750メートル)に今週末20日&21日行うことに変更し、25日よりアイスフォールを抜けてC1&C2での順化を行います。
登頂アタックは今後の気象予報によりますが、現時点で5月12日スタート、5月19日前後の登頂を目指します。

ベースキャンプ到着後の三浦雄一郎コメント
「過去3回のエベレスト遠征のなかで、これ以上ないほどにいいロケーションのベースキャンプ。アイゼンをつけてアイスフォールに入る入口がすぐ側にある。また自分を含めて隊全体も今までにないベストコンディションで到着した。見上げると、目の前の大きなアイスフォールの遥か先にエベレストがあります。ここがベースとなり、これから1か月かけて、色々なトレーニングを重ねて、エベレスト山頂を目指します」
動画メッセージ

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

4月10日

三浦雄一郎&エベレスト隊メンバー一同、現在標高4300メートルのタンボチェに3日間滞在中で、高度順応ほうは順調にいっているとのことです。
過去、三浦は丁度この標高である4000メートル付近は一番体調を崩しやすかったのですが、今回はそれらの経験を踏まえて、十分時間をとって身体を慣らしていったことが良かったようです。他のメンバーが下痢などで一時ダウンしたときも三浦雄一郎が一番元気であるとのことでした。

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用

3月29日

本日29日未明(0時30分)三浦雄一郎(80歳)とエベレスト隊のメンバーであります、長男・雄大(47歳)、豪太(43歳)そしてチームドクターの大城和恵さんの4名はエベレストへ向けて全日空173便にて日本を出発いたしました。
出発前、羽田空港にあります焼き肉「チャンピオン」にて三浦雄一郎の大好物のお肉 を沢山食べ、三浦家らしい壮行会となりました。また、空港には三浦雄一郎が校長を務めるクラーク記念国際高等学校の関東エリアの生徒たちおよそ100名と友人を含め約150人の見送りしていただいた方々の温かいエールに送られました。

下記、出発時の三浦雄一郎コメントです。
「80歳でチャレンジできる目標があるというのは幸せで、それも世界最高峰のエベレストであることがすごく嬉しい。今回のチャレンジは人が幾つになっても夢を持ち、それに向かい登り続けることが 出来る。自分自身、今はエベレストへ向かって高鳴る希望の鼓動を胸に登り続けたいと思う。体力と聞かれると、半分、50%ぐらいですが、これから山頂アタックまでのほぼ一カ月半のヒマラヤでのトレッキング、登りや下りを繰り返してコンディションを回復し頂上を目指していきたい」。

Yuichiro MIURA Everest 2013より引用


三浦雄一郎氏 略歴

プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長

1932年青森市に生まれる。北海道大学獣医学部卒業後、1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、その記録映画[THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST]はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年5月、次男で元オリンピック選手の豪太とともに世界最高峰エベレスト山(8848m)登頂。当時の世界最高年齢登頂(70歳)と初の日本人親子同時登頂の記録を樹立。2008年5月、75歳にてエベレスト2度目の登頂を果たす。アドベンチャー・スキーヤーとしてだけでなく、全国に1万人いる広域通信制高校、クラーク記念国際高等学校の校長として、また行動する知性派として国際的に活躍中。記録映画、写真集、著書多数。

[賞]
プロスポーツ大賞殊勲賞、スペイン山岳会名誉会員、アカデミー賞長編記録映画部門(エベレスト滑降)、世界山岳探検会議特別会員、ワシントン州名誉市民、ニューヨーク映画祭ゴールデンイーグル大賞(南極滑降)、国際探検映画祭・冒険探検特別賞、青森市民栄誉賞、北海道功労賞、内閣総理大臣表彰、フランス政府スポーツ青少年功労賞金賞、他